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生きることの尊さ、世のためつくす【秋石様ご寄稿文転載】

2014年12月6日 at 5:14 PM No Comments

[2014年11月25日 赤石 康氏]

2006年(平成18年)12月18日、仙台K総合病院で肝細胞がんと診断され、肝臓の右側3分の1を切除された。1934年(昭和9年)9月9日生まれで72歳だった。胆管の近くに直径4センチ程の腫瘍があり、胆管がんかも知れない。切開してみないと判定できないとのことだったが、幸いなことに原発性の肝細胞がんと判定。術後、主治医先生は「2分の1を切除しようと思ったが、肝細胞がんだったので3分の1にした。胆管がんの場合、再発すれば2回目の手術はできない。人間の臓器で再生するのは肝臓だけ。肝硬変、転移もない。抗がん剤は必要ない。3カ月ごとに血液検査とCT、エコーで経過観察していきましょう。少々の酒もいいですよ。長生きできますよ。」と元気づけて下さった。

私は新聞記者稼業。かなり酒をのんできたが、B型、C型肝炎はなく、脂肪肝はあった。GOT、GPTは平常数値、ガンマGTPは100ちょっと。ところがこの年の10月、泌尿器科医院の血液検査でガンマGTPが300近くに上昇した。ホームドクターの開業医にエコー診察してもらったら「肝臓がんの疑いがある。K総合病院消化器内科に後輩がいるので精密検査を受けるように」と紹介された。PET、MRIなどで検査され、肝臓がんですぐ入院となった。12月1日入院、10日ごろ手術する予定だったが、風邪気味で12月18日、手術室に入った。担当医は胆管、肝臓、膵臓の手術では東北では名医と言われた方だった。長い間、新聞記者をし、医学関係の取材もしてきたので“人脈”があり、今回の手術ではいろいろお世話になり感謝している。

肝臓がんの腫瘍マーカーはいくつかあるが、私の場合はAPF(基準値10.0未満)、PIVKA=ⅡECLIA(基準値40未満)を定期的に血液検査したが、術後は基準値の半分以下で異常はなかった。

新聞社退職後、石巻地域FMラジオ局の社長だったので2007年1月中旬から復帰した。以来、8年間、異常なくことし9月9日、満80歳になった。

がんになると知人、友人から健康食品など勧められる。2008年夏、知人の紹介で松田忍博士が研究開発した自己免疫を高めるという健康食品を服用することにした。 12月に仙台で松田先生とお会いして長年にわたる研究と成果をお聞きした。東北大学大学院農学研究科修士課程終了、武田薬品工業入社、東北大学医学部細菌学教室出向。石田名香雄教授は後に東北大学総長。1970年、医学博士号取得(インターフェロン誘発剤の研究)。私は東北大学文学部社会学科卒だから同窓生同士。石田総長はウイルス研究の権威で私も取材などで親しくしていた。

松田先生の誠実で熱心な研究活動が理解でき、自己免疫を高める健康食品が、私の肝がん再発を防ぐ最良のものであると判断、以来、6年間服用してきた。プロポリス、アガリクス、藍の天然素材を粉末化して抽出した成分の入った健康食品で、空腹1時間後に1~2袋を口中に入れ、数分間、舌状で舐めるようにしていると、免疫を 高める成分が上顎部の毛細血管から体内の血管に吸い込まれるように入っていく。その後、1時間ほど飲食しない。私は現在、就寝後に目覚めた時に2袋、同時に気力を高める食品を2粒服用している。

松田博士によると、口中に入った健康食品が口腔内のリンパ球を刺激することによって、体内の他のリンパ球を活性化、がんやウイルスなどの感染症を排除する免疫療法であると説明する。口腔粘膜接触刺激による自己治癒力亢進法(リンパ免疫力活 性化法)として免疫関係研究誌で紹介されている。

私は肝がんが見つかった1年前、前立腺がんの生検査で採取した12個のうち4個にがんがあると診断された。骨シンチ検査、CTスキャンをしたが、がんは前立腺内にとどまっているというので、LH―RHアゴニスト注射、男性ホルモンを抑える薬を服用。半年ほどでPSA数値が5.8から0.03以下になった。その病院は放射線治療を勧めたが、説明が不十分で断った。知人から紹介された泌尿器科医院で生検査を したところ、前立腺にがん細胞は見つからないという。月1回の注射は行いPSAの検査は続けた。ホルモン注射後、36度程度の体温が37度を超えるようになった。がんは体温が37度を超すと消滅すとも言われるが、その医院で再生検査したが、がんは消えていた。

ところが2006年12月18日、肝細胞で肝臓の右側3分の1を切除した。2008年夏から松田博士研究開発した免疫を高めるという健康食品を服用するようになった。

がんになると高価なものを服用し、免疫療法を受ける方も多い。私は60歳でゴルフ公認ハンディ13。“切腹”してからゴルフもお酒もやめた。松田博士の健康食品代金は趣味をやめた費用で賄える。食事は特に注意していない。

新聞社退職後、石巻FMラジオ社長を9年間引受け再建させた。東日本大震災が発生した2011年3月11日の1カ月前に退任した。地域ラジオがあったので各種情報を伝え、感謝された。時々、仙台からマイカーで石巻へ行く。月1回、シャンソン教室で歌っている。「生きる」という歌詞の1節に「生きる 生きる 今になって私は 生きることの尊さを知った」とある。創立140周年を超えた母校の高校では、校歌の1節の「おのれを修めて世のためつくす」を校訓にしている。満80歳。「世のためつくす」の気持ちは持ち続けたい。

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