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「世に棲む日々」の今日

2010年10月22日 at 11:57 AM No Comments

想えばあれから4年。私が、腸閉塞で救急入院、いきなり手術ということになって、そう、あの時は、手術中に横隔膜が肺を圧迫して(?)心肺停止になったんだった。いわば、グラスの淵ならぬ、死の淵をぐるりと回って、再び現世に息を吹き返したのでした。
しかし、息を吹き返したはいいが、病理検査の結果は、癌ステージ3aかb、5年生存率60~70%という現実。

そして翌年、もう一つの原発癌が見つかり、その2回目の手術で大腸を全摘出してしまった。更にその翌年、浸潤癌再発。もうこの挙句は、改めて生存率の数字をかたどる流れに引き込まれる一途を辿るしかないのか?
せっかくあの淵を逃れたのに。
ところがそれはその後、幸いにも点滴抗癌治療が効いて、浸潤再発は「完快」となりました。とは言え、抗癌治療の「完快」が「完治」を意味するものではなく、あくまで抑制の状態でしかないことは、テレビでもそのように解説していたし、主治医の先生も言葉を濁していましたが、そういうことでしかないことは否定できないことのようでした。しかし、しかしながら、あれから4年を経た今日、今こうして世に棲みなしていられる!
このことは、何にも増してありがたいことと、只管感謝しなければなりません。

とはいえ、やはり大腸を全摘出した生活は、なかなか辛いものがあり、今でも、始終不快さを感じ、夜には睡眠が妨げられ、体力も十分ではなく、食いたいものも食えず、飲みたいものの飲めず、何かに付けてそういう生活の制約を受けて、常に何かしんどさを引きづっていなければならないことには、今さらどうしようもないこととはいえ、我ながらどうも気落ちがしてしまうことがないわけでありません。
ふと過去を振り返えることがあれば、頭をよぎるのは、あれだけ毎年人間ドックを受けて、何か悪性のものはないか自分でも気にもしていながら、何故もっと早くに気付けることはできなかったのだろうかと、それにしても、あの産業医も能足らずな!とばかりに憤ったこともあり、もし、この病に陥ることがなかったなら、私の人生は、随分違ったものになっていたろうな。もっと楽しい人生が広がっていたはずだったのに、そんな想いが脳裏をかすめることもあります。
しかし、まあ、こうなってしまった以上、泣き言を言っていても始まらない。
世の中には、今日の命を必死に追いすがっている人だっている。
この今の私が、この今ある私の姿こそが、他とは比べるべきものではない、私の人生そのものなのだ!
私が生きるこの世界は他には絶対にない、唯一無二のもの。なぜならば、私が見る景色、感じる外気や、様々な触感、また、人との交わり、それらは全て、私の感覚機能を通じて感知しながら、私の意識の中で反射行動を起こしたり、情感を発することになるのだろうけど、ともあれ私が認識する世界とは、全て私自身の脳活動の表象の中にしかないものなのだから。確かに、この宇宙に物理的な物が実存する広がりがあるのではあるけれど、しかしそれが絶対的なものとして、直接私の自我と接触するものではない。全ては、私の感覚機能である神経細胞を介して結ばれた、あくまで私の感覚が感知して、私自信が描いた世界なのだ。だから、この世界とは、少なくとも、人間の数だけの70億ほどの世界が存在することになる。さらに言えば、人間ほどではないにしろ知能がある程度作用をする霊長類動物やイルカとか?にも、理性とも言えない本能的な知能程度ながら描かれたそれぞれの世界だってある。

とにかく、私が表象、認知する世界は、私だけが描ける・描くしかないこの大宇宙に唯一存在するユニークな世界なのだ。
そして、この私の世界は、古代生物から一条に結ばれた命の最先端のキャンバスの上に描かれているんじゃないか。
例え艱難人生であっても、そうであれば尚の事、独特なる吾ならではの人生を描かなければならない。描いてみようじゃないか。そう考えれば、あたら人生を汚くして何ができない、どうも不快だと、嘆いているわけにはいかない。
感覚も心の作用だ。心頭滅却すれば~、ではないけど、なかなか火を涼しくするのは難しいかもしれないが、気落ちした気分を笑いで置き換えることぐらいはできないことではない。笑えば、福来りというではないか。
誰のどのそれとも違う、この稀有、貴重な、ただ一つでしかないこの世界をそう簡単には終わらせてはいけない。
何とあっても生きて活きるんだ。とにかく今日を活きる。
「過ぎたるは追うべからず、来たらざるは向かうべからず、只、一念心はこの現在刹那に顕在を要す。」

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