つぶやき広場

2011年11月25日

「隠される原子力 核の真実」、驚愕の暴露

Filed under: 未分類 — admin @ 4:11 PM

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ「隠される原子力 核の真実」を読みました。

私は、原子力については、正直に言ってこれまではむしろ容認の意識が強かったと思います。尤も、一般的には、感情的な理想論を別にすれば、常識的にはそれが当然のあるべき見識として擦り込まれてきたように思います。しかし、これを読んで、見事に考えが全く一転してしまいました。今年の原発事故もあって、少し疑念が湧いていたところもありましたが、今回その疑念が確信になってきたように思います。

著述の端々に若干左傾的な箇所もありますので、少しその点が気にならないわけではありませんが、その辺を差し引いても、余り有るほどの真実の暴露があるように思われます。

核の無計画な開発によって、今や、日本、世界は、到底処分が不可能なほどの放射能廃棄物を貯め込んでいます。高速増殖炉がとんでもなく不可能なこと、プルサーマルが如何に危険性が高いか、それにも増して、放射線の人体への害が想定をはるかに超えるリスクを抱えていることか。

そして、原発運転による自然への影響として、原発から排出される温廃水は、流量毎秒70トン、多摩川の倍、利根川の半分ぐらいが、7度も高い状態で海へ流れ出す。クリーンどころか、真逆の海水温を上昇させる何と発電効率の悪いシステムなのか。

原発がなくても、火力、水力発電は、日本の電力需要を満たす能力を持っている。地球温暖化は、CO2排出の単純な問題ではない。全地球の複雑な自然の系サイクルの結果だという。

そして、この本の妙なのは、発刊が、今年ではなくて、去年12月だったこと。まさに福島事故を想定して書かれたのではないかとさえ思わせる、迫真さがあります。

それぞれ個別の説には異論もあると思われますが、一度、この著者の指摘に真摯に向かい合って、私たち自身も考え方を研鑽しなければならないものだと痛感します。

2011年5月13日

母の歌、一首。

Filed under: 未分類 — admin @ 3:04 PM

田舎の兼業農家で、内職にミシンを踏んで。取り柄と言えば、その働きぶりぐらい。ほとんど世間を知らずに過ごしてきた母ですが、先日、歌を一首、聞かせてくれました。
趣味というほどのものではなく、暇な時の楽しみに習っていたお茶の会で、生まれた実家のある山を遠目に仰いで、
~でき不できは関係なく。
そう言えば、母は、寝るときには、何が、嫌なことがあっても、布団に入れば、「極楽、極楽!」と呟くと言っていたなー。

お茶を点て
けふのしあわせ
想うとき
お手の向こうに
ふるさとの山

2011年4月13日

大震災から1ヶ月!?

Filed under: 未分類 — admin @ 2:38 PM

大震災から、1ヶ月!? 福島県知事は、「あなた方は1ヶ月が過ぎたというように言われるけれど、こちらは、今まさに、災害が進行中の、真っただ中だ。」と。
本当にその通りでしょう、皆さんが指摘されるように、大天災に大人災が惹起、重なって、それが未だに収拾の目途も立たず、今後の収束プロセスのロードマップも示されない。昨日の事故レベル7の発表には、改めて、日本が、世界が、ことの重大さに、固唾を飲んで見つめることになっています。
私なども、当初は、タカをくくっていまして、何となく1ヶ月もすれば収まるんだろうというぐらいに漠然と捉えていましたし、周辺地域の放射線被害にしても、さほどの脅威になるとは考えていなかったように思いますが、このところの事態の推移には、さすがに楽観はしていられないという気がしてきました。
現在も、確実に放射線汚染は進んでいますし、今の放射線物質の放出量が、チェルノブイリの10分の1だという発表も、更に今後の累積の可能性を考えますと、世界最大の原子力災害になることも否定できません。
こんな状況に至ることになっては、電力会社や政府の当事者への無責任な批判をしている場合でもない! それでは、原発反対へ、盛大に声を上げるのか、というと、しかし、それもどうも簡単な話ではなさそうです。
とにかく、事故は、早々に解決されること願うばかりですが、この事故から派生する、今後の影響、課題を考えますと、これから、如何にこの原発問題へ立ち向かっていかなければならないのか、よほど真摯な議論と、判断がなされ、そして、市井の我々一人一人が知見を共有して、納得、合意をしていく、そして少しでもよりまともな世論が形成されていかなければならないのだろうと思い直されます。
ホリエモンさんのブログを見てますと、原発に対する技術者の確保の指摘が載っていました。
それを参考にこの問題について勝手ながら一つの見方を述べますと、
今、エキセントリックな原子力に対する批判で、脱原子力の叫び声が世界的にさかんになっていますが、それはある程度無理からぬこととしても、一口に、脱原発と言っても、それがどういうことなのか、どういう影響をもたらすことになるのか、ちゃんと考えていますか? 当面の直接的な問題として、発電供給量の不足に対しては、その代替手段をどうするかということがありますね。頭の軽い偽善政治家は、選挙対策もあって、太陽光自然エネルギー発電で代替なんてことを簡単に口にしますが、それは、数十年から100年の計のビジョンに対する話としては大いに結構ですが、それこそこれから直面する今日明日の事態にそれがまともな議論なのか、任期期間での責任を持つ政治家が真っ先に目標にするような、実行性が問われる政策の話ではありませんよね。自然エネルギーは、供給効率・量の確保、大きな時間変動性を、日本中の一般世帯でスマートグリッドの仕組みを入れて、解決しなければなりませんが、一朝一夕のことではありませんし、CO2排出抑制程度ならともかく、原発発電量の規模を代替できるかのかは大いに疑問があります。
それでは、火力発電に切り替えるかですが、折角CO2排出から転換機運が高まったところで後戻りもないでしょう。
そして、ここからが重要な話ですが、脱原発の呼び声で原発嫌悪の機運が高まりますと、一番懸念されるのが、技術者の希薄化の問題があるということですね。既に運転している原発の維持に対して、よしんば廃炉にするにしても、それに対する、メンテナンス、安全運転、使用済み核燃料の保管、更に、廃棄には、高度な技術、技術者、企業が必要なのです。ましてや、廃炉には、原発建設以上の高度な技術が必要であり、未だほとんど経験がないということなのです。
しかし、既にチェルノブイリ事故以来、大学の原子工学科の人気は低下しており、これらのエンジニアの担い手が不足しています。そこへ更に原発悪人像が増大していきますと、現在の原子炉の安全な維持、核燃料の保管、廃棄、廃炉が、技術的にマンパワーとして完全に行えなくなってくる懸念があります。
これらは、外国に頼れる問題ではありません。外国へ依存することになりますと、重要なシステムの核技術がブラックボックスになってしまいます。福島原発もGEが作ったものということですが、まさに国の基盤のライフラインの供給に拘わる部分、国民の生命を脅かされる重大事故の危険が日本自身でコントロールできないことになります。航空機事故の本当の事実が追求できないのと同様です。
実際、廃炉と言っても、廃炉にするにしても数十年単位の行程が必要のようです。
一旦使った廃棄燃料は、人類単位では、未来永劫、管理しなければなりません。
既に、人類は、後戻りのできない、莫大な効率で便益をもたらせてくれる裏腹で、反面、大震災以上の災禍をもたらす、良悪同体の強大な力を持つ代物を手にしてしまったのです。
核エネルギーは、宇宙の運行を担う規模のエネルギーであって、一たび、その力の扉を開けてしまった限りは、決して二度とは元へは戻せないという、それほどの脅威なものを持ってしまった。実は、それだけの覚悟を成さなければいけないものだったのです。
そういう大それたものでもありながら、科学とは、人間の性の上にあって、どんな扉も開かずにはいられないものなのでしょう。
今さら、どうあっても私たちが生きる世界では、絶対に避けることができないこの代物、空けてしまったパンドラの箱は、その中の「希望」と共に積極的に共存するしか、選択の余地がないことを知らなければならないようです。

2011年3月16日

やっぱり、いい国かな。日本!!

Filed under: 未分類 — admin @ 5:01 PM

これは、泣けますね。
頑張ろう、再生日本!!
“Operation Tomodachi”

http://prayforjapan.jp/tweet.html

2011年1月27日

Coffee Break! The Shocking Blue, “Venus”

Filed under: 未分類 — admin @ 3:38 PM

いつまでもどこか琴線に響く、懐かしの1曲!”Venus”

ビーナスは、後に、バナナラマや長山洋子がカバーして有名になったこともあり、ショッキング・ブルーのビーナスは知らない方も多いのかもしれませんが、1970年当時、ボーカル、マリスカ・フェレス嬢の小悪魔的な雰囲気とサイケデリックを気取ったオランダのグループが放つこのビーナスは、小気味のいい鮮やかなインパクトで、正に彗星のごとくにVenusが現れ、いきなり世界中のヒットチャートを総なめにした、ということでしたね。

日本では、その後にも「悲しき鉄道員」、「悲しき恋心」がヒットして人気が続きましたが、どうも欧米では、ビーナスの一発屋に終わったとのこと。しかし、マリスカ自身は、当時のオランダの雰囲気がそうだったらしいのですのでが大の日本嫌いで日本公演などは上の空だったとか。

そのマリスカは、なんと06年癌で亡くなっていたんですね。(59歳没)

2011年1月18日

経済成長への阻害?選挙の投票格差

Filed under: 未分類 — admin @ 2:22 PM

この日経新聞の「一目均衡」には、なかなか面白いことが載りますね

どうして日本は長いデフレから抜け出せないのか--。モルガン・スタンレーMUFG証券のロバート・フェルドマン経済調査部長はずっと悩み続けてきたが、やっとわかったという。政治がデフレに反応しないのは「このままでいいと考えている人の声が大きいからだろう」。この仮説は、都道府県ごとの有権者の年齢構成と選挙制後の関係を調べ、確信に変わった。

都道府県ごとに「60歳以上」を「20~30歳」人口で割り算する。表の横軸にこの高齢化指数をとり、縦軸を各都道府県の国会議員1人当たりの有権者数として、全都道府県を並べる。衆参いずれも右肩下がりの近似線上にほぼ見事に並び、国会で「地方の高齢者」の声が過大に優遇されていることが分かる。若者が投票所に行かないため、年金生活者の高齢者の声はさらに増幅される。

様々な既得権の保護策を続けて平等にジリ貧になるのか、それとも、都市部住民や将来を担う若者の声を聞き、効率化政策を通じた経済成長により税収を確保し一定の所得再配分を目指すのか--。

現在、衆院小選挙区の投票価値の最大格差は約2倍、参院選挙区は、約5倍もある。もし、選挙制度が見直されて「正しく1人1票になれば、デフレ対策だけではなく年金、医療制度や農業改革がやりやすくなる」とフェルドマン氏は期待する。

医療、介護などの負担を巡る世代間格差と投票格差の著しい差。「この2つの格差が、閉塞する日本病巣だ」との指摘もある。

なるほど、これらの論旨の是非については様々な受け止め方があると思いますが、しかし明確なことは、政治の停滞は、正に主権者の責任、といいながら、その民意の反映が現行の選挙制度の中で歪められているという事態では、ここは何はさておいても早急に選挙格差が是正されなければなりませんね。しかし、その是正を託されるのが当の歪められた民意を受けた政治家だということであれば、この問題はなかなか抜き差しならない。

2010年12月28日

百万一心

Filed under: 未分類 — admin @ 12:35 PM

まだ若干20歳ほどにして毛利元就は、毛利家当主兄の興元の死に直面する。興元の長子幸若丸は1歳の嬰児。元就自身、父弘元の早世(家臣の派閥による暗殺?)の後、身の危険にさらされた松寿丸(元就の幼名)をお杉の方が連れて城を逃れ、松寿丸は武勇の器量を押し隠して只管学問を志向する隠棲の中で成長していた。そうした事情の中でここは当然跡目争いの乱れが生じかねない。この抜き差しならない一大局面で分家の身の元就は、敢然悠々と興元の見舞いとして駆けつける。そして、至極自然な振る舞いのもと死者に改めて末期の水を取らせた後、毛利家の家臣団を一堂に集め、臨終を告げる。そして興元の遺訓と称して、生前興元が唱えていた、「百万一心」を家訓とすることを宣言する。

百万一心とは、毛利家だけの団結ではなく、日本国中の一心と解すべきこととして、百千万の人々の団結を説き、その戦国の世の収集を目標とする理想を掲げて、毎朝太陽を拝することを家の行儀とした。人間が一番正しいことを実行しつつあると信じたおりに、最も大きな勇気と力を恵まれる。不信疑惑の生活は、ただその持てる力を半減するだけではなく、やがて人々もを個々バラバラに分断させる逆の力になっていく。~

誠の心により、不動の正義を貫くときにこそ、森羅万象の鼓動と力を一にした共振作用により、もっとも強い力を発現する。

更に、先哲の言葉には、

ありのままにわれある世とし活き行かば悔ひも怖れも何ものもなし

「ありのままに」とは正真の心。

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