つぶやき広場

2011年4月13日

大震災から1ヶ月!?

Filed under: 未分類 — admin @ 2:38 PM

大震災から、1ヶ月!? 福島県知事は、「あなた方は1ヶ月が過ぎたというように言われるけれど、こちらは、今まさに、災害が進行中の、真っただ中だ。」と。
本当にその通りでしょう、皆さんが指摘されるように、大天災に大人災が惹起、重なって、それが未だに収拾の目途も立たず、今後の収束プロセスのロードマップも示されない。昨日の事故レベル7の発表には、改めて、日本が、世界が、ことの重大さに、固唾を飲んで見つめることになっています。
私なども、当初は、タカをくくっていまして、何となく1ヶ月もすれば収まるんだろうというぐらいに漠然と捉えていましたし、周辺地域の放射線被害にしても、さほどの脅威になるとは考えていなかったように思いますが、このところの事態の推移には、さすがに楽観はしていられないという気がしてきました。
現在も、確実に放射線汚染は進んでいますし、今の放射線物質の放出量が、チェルノブイリの10分の1だという発表も、更に今後の累積の可能性を考えますと、世界最大の原子力災害になることも否定できません。
こんな状況に至ることになっては、電力会社や政府の当事者への無責任な批判をしている場合でもない! それでは、原発反対へ、盛大に声を上げるのか、というと、しかし、それもどうも簡単な話ではなさそうです。
とにかく、事故は、早々に解決されること願うばかりですが、この事故から派生する、今後の影響、課題を考えますと、これから、如何にこの原発問題へ立ち向かっていかなければならないのか、よほど真摯な議論と、判断がなされ、そして、市井の我々一人一人が知見を共有して、納得、合意をしていく、そして少しでもよりまともな世論が形成されていかなければならないのだろうと思い直されます。
ホリエモンさんのブログを見てますと、原発に対する技術者の確保の指摘が載っていました。
それを参考にこの問題について勝手ながら一つの見方を述べますと、
今、エキセントリックな原子力に対する批判で、脱原子力の叫び声が世界的にさかんになっていますが、それはある程度無理からぬこととしても、一口に、脱原発と言っても、それがどういうことなのか、どういう影響をもたらすことになるのか、ちゃんと考えていますか? 当面の直接的な問題として、発電供給量の不足に対しては、その代替手段をどうするかということがありますね。頭の軽い偽善政治家は、選挙対策もあって、太陽光自然エネルギー発電で代替なんてことを簡単に口にしますが、それは、数十年から100年の計のビジョンに対する話としては大いに結構ですが、それこそこれから直面する今日明日の事態にそれがまともな議論なのか、任期期間での責任を持つ政治家が真っ先に目標にするような、実行性が問われる政策の話ではありませんよね。自然エネルギーは、供給効率・量の確保、大きな時間変動性を、日本中の一般世帯でスマートグリッドの仕組みを入れて、解決しなければなりませんが、一朝一夕のことではありませんし、CO2排出抑制程度ならともかく、原発発電量の規模を代替できるかのかは大いに疑問があります。
それでは、火力発電に切り替えるかですが、折角CO2排出から転換機運が高まったところで後戻りもないでしょう。
そして、ここからが重要な話ですが、脱原発の呼び声で原発嫌悪の機運が高まりますと、一番懸念されるのが、技術者の希薄化の問題があるということですね。既に運転している原発の維持に対して、よしんば廃炉にするにしても、それに対する、メンテナンス、安全運転、使用済み核燃料の保管、更に、廃棄には、高度な技術、技術者、企業が必要なのです。ましてや、廃炉には、原発建設以上の高度な技術が必要であり、未だほとんど経験がないということなのです。
しかし、既にチェルノブイリ事故以来、大学の原子工学科の人気は低下しており、これらのエンジニアの担い手が不足しています。そこへ更に原発悪人像が増大していきますと、現在の原子炉の安全な維持、核燃料の保管、廃棄、廃炉が、技術的にマンパワーとして完全に行えなくなってくる懸念があります。
これらは、外国に頼れる問題ではありません。外国へ依存することになりますと、重要なシステムの核技術がブラックボックスになってしまいます。福島原発もGEが作ったものということですが、まさに国の基盤のライフラインの供給に拘わる部分、国民の生命を脅かされる重大事故の危険が日本自身でコントロールできないことになります。航空機事故の本当の事実が追求できないのと同様です。
実際、廃炉と言っても、廃炉にするにしても数十年単位の行程が必要のようです。
一旦使った廃棄燃料は、人類単位では、未来永劫、管理しなければなりません。
既に、人類は、後戻りのできない、莫大な効率で便益をもたらせてくれる裏腹で、反面、大震災以上の災禍をもたらす、良悪同体の強大な力を持つ代物を手にしてしまったのです。
核エネルギーは、宇宙の運行を担う規模のエネルギーであって、一たび、その力の扉を開けてしまった限りは、決して二度とは元へは戻せないという、それほどの脅威なものを持ってしまった。実は、それだけの覚悟を成さなければいけないものだったのです。
そういう大それたものでもありながら、科学とは、人間の性の上にあって、どんな扉も開かずにはいられないものなのでしょう。
今さら、どうあっても私たちが生きる世界では、絶対に避けることができないこの代物、空けてしまったパンドラの箱は、その中の「希望」と共に積極的に共存するしか、選択の余地がないことを知らなければならないようです。

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